「サロゲート」ジョナサン・モストウ

はてさてどうしたものか。

●唐突に。意を決して台所に立ち、大きなボールを手に取る。強力粉と水の分量を正確に計り、少しずつ水を入れながらボールの中の小麦粉を混ぜてゆく。ジャージャン麺を作るのだ。第一段階の工程は難なく終え、生地を寝かせている間に、冷蔵庫に切らしていた甜麺醤を買いに行く。スーパーの入り口には鹿児島産の金柑が試食用に山盛りになっている。思わず手に取って口にいれると、かつてのそれの記憶と印象とはかけ離れた香りと甘みが、通常好んで食される皮だけでなく、果肉の方からも滲み出してくる。金柑を手にすることなく一旦はレジに向かったものの、強烈な金柑の甘みが気になり、結局入り口付近まで戻り、買ってしまう。しかし、どうだろう。金柑に限らず近年の果物は「甘過ぎ」じゃないだろうか。品種改良を重ねた結果、それも良い方の結果かもしれない。だけれども、どれもこれも「甘過ぎ」やしないか。帰宅後、金柑を口に入れながら、寝かせておいた生地を捏ねる第二工程に。これが難しい。ジャージャン麺の麺は強力粉と少なめの水で捏ねる比較的腰の強い麺で、捏ねるための力はもちろん、経験値が必要なようで、どうにもこうにも生地がこちらの思い通りにはならない。でも気にせずになんとか切るところまで。事前に作っておいた味噌ダレを温めつつ、麺を茹でる。どう見てもキシ麺にしか見えない平たいうどんのような麺が茹で上がり、タレをかけて食す。でもうまかった。

●小麦粉への俄な情熱は続き、引き続いて、タンピンという名の料理へ。こちらはまあ、北京では朝食用に食されるということもあって、薄力粉に卵を溶いた水を入れる生地だから、混ぜるのも簡単。要は中華風パンケーキだ。混ぜ終わった生地に塩と胡椒を少しだけ振り、ワケギを混入させる。それを焼くだけ。焼き方もパンケーキの要領とほぼ同じ。はてさて出来上がったものを口に入れると、これまたおいしい。
●小麦粉料理。強力粉か薄力粉の選択。混ぜるのが水かぬるま湯か、熱湯かの違い。もちろんそれぞれの分量も。この最初の組み合わせで主食も副食もおやつも作れる。白い粉が変わりゆく様、その変幻自在な様子は、いい歳した大人が改めて料理の興味深さを思い知らせれた。「美味しさ」というものはどうも「美味しさ以外」に対する「美味しさ」ではなく、「美味しさのための仕事」が始めからあり、その仕事を成し遂げる先にぽつんとあるのだ。うまく表現できないけれど、まずい料理とか美味しい料理があるのではなく、美味しさのための段取りと過程があるだけで、美味しさの両隣が美味しくなさ、不味さではないのだ。美味しさから少しずれた場所は、そもそも美味しさへの始まりからは全く関係のない場所、遠く離れたところにあって、それは美味しくないとも不味いとも全く関係のないところなのだ。


●粉への情熱が迸る前日は「サロゲート」(ジョナサン・モストウ)。予告編を見る限り物語の設定が「マイノリティー・リポート」の変奏に違いないと思っていたらその通り。「マイノリティーリポート」が犯罪予知能力を持つプリコグという存在を利用して凶悪犯罪を激減させた世界を描いていたとすると、今回は「サロゲート」と呼ばれる生身の人間に対する身代わりロボットが実生活を営む役を演じ、生身の方は自宅でロボットを操作する機械に接続し遠隔操作することで、たとえ犯罪が起きてもロボットが被害に遭うだけで、自宅にいる生身の方は無事である、という意味において犯罪を減らす世界を描いている。

「マイノリティー・リポート」では電気自動車なのか何なのか便利な便利な未来の様子も描かれていたけれど、「サロゲート」では身代わりロボットが生活する世界はどうも現在とあまり変わらないようだ。社会資本は変わらずにそこで生活する人間が全てロボットになり生身の身体は自宅に引き蘢っている。殺された息子を想い続ける主人公とその妻の物語という設定もそっくりだけど、今回は息子の死は特に重要な要素にはならず、サロゲートを販売している企業と元々の開発者の対立がお話を転がしてゆく。

ブルース・ウィリス演じる主人公の捜査官がついには、サロゲートだけが外で生きる世界を壊し、生身の身体同士で妻と抱擁するところまでいくのだけど、「サロゲート」って代表制のことなのではないかと思い始める。何もかもが代表されながら生きることしかできなくなっている現在に嫌気がさして生身の人間として生き始めるブルース・ウィリスのその後の人生が気になるけど、身代わりを使ってしか世界を回せなくなっている現実の方が今日も同じように過ぎていこうとしている。

代表制という名の身代わり社会、身代わりロボット社会に否を突きつけていた人を急に思い出した。MJじゃないか。マイケルこそが、オノレの生身の身体といかようにでも加工できる身代わりロボットの両方を引き受け、ネバーランドという誰も生きた事のない近未来の世界での引き蘢りから、いよいよ世界中の人々の身代わりロボットとしてツアーを始めようとしていた最中に死んでいった。身代わりロボットを使って生きると死にますって伝えるために。