「不連続殺人事件」曽根中生

安吾の原作はすっかり忘却の彼方にあったが映画が始まるとなんとなくかすかな記憶が浮上してくる。「不連続殺人事件」(曽根中生)。1977年。内田裕也と夏純子と嵯川哲朗のエピソードが冒頭に挿入されているだけで、犯人を提示してしまっているように見える。実際に多数の登場人物が洋館に到着してからはどこか淡々と、平板な物語の進み方。俳優たちのキャラクターは強烈に強いのだけど、巨勢博士が事件を推理し解決する流れに乗る事ができないような作りになっている。小説の方がドキドキする。でも内田裕也がいいからいいや。
「天使のはらわた 赤い教室」(曽根中生)。1979年。蟹江敬三が生きるのに迷いまくって彷徨っている感じがいい。それにしても曽根中生の映画のヒロインは「顔がキレイ」だなあ。この映画の水原ゆう紀もしかり、不連続の夏純子もしかり。エロ雑誌編集という作れば作るほどマンネリになり同じことしかできなくなり、エロがなんだか分からなくなっていく中で、蟹江敬三が日常の外側に出る。そのきっかけもブルーフィルムというエロを通じてなんだけど。。。もうすぐ1980年になる新宿西口、中央公園で水原ゆう紀と蟹江敬三が二度目のすれ違いを演じる時間の暗さは忘れられないくらい重たいものだった。
もしかしたら、もしかしたら、ロマンポルノは日活という会社も加わっての蜂起の一種だったのではないかという予感がしてくる。だから今見るなら、映画館を出て、はあ、楽しかったとか、現実を忘れられるひとときだったとか言ってる場合じゃなくて、現実の方を「天使のはらわた」で深夜の街道に消えていった蟹江敬三のように生きることの方が、この映画に応えることになるのではないのかなあ。