「喜劇 命のお値段」前田陽一 

「OUTRAGE」北野武
「ガールフレンド エクスペリエンス」スティーブン・ソダーバーグ
サバイバル・オブ・ザ・デッドジョージ・A・ロメロ
「喜劇 右向け左」前田陽一
「にっぽんぱらだいす」前田陽一
「進め! ジャガーズ 敵前上陸」前田陽一
「喜劇 命のお値段」前田陽一

すかすかの北野武の新作を見たら、これはこれでいいのではないかという気がしてきて、早晩閉館しそうな新宿歌舞伎町ミラノ座の大きなスクリーンであと何回映画が見られるのか心配になってきたので、ミラノ座の封切り映画はできる限り見にいくことに決める。
ロメロの新作はといえば、前作「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」から相も変わらずという感じだけれど、ゾンビと人間が共存する島で縄に縛り付けられたゾンビたちが生きているときの動作を繰り返す(郵便配達人はポストに郵便物を投函し続け、木こりは木を切り続けたり、馬に乗った若い女性はゾンビのまま乗馬を続ける)姿を見ると、不屈のゾンビというかなんというか、端から人間なんぞは当てにしていないロメロの確信のようなものが見えてきて爽快な気持ちになる。
で、ソダーバーグは「ゲバラ」からは一転「セックスと噂とビデオテープ」がこんな映画だったっけなあとビデオで見たけれどすっかり忘れている彼の作品を思い出しつつも、実在する高級コールガールがこの世界の流れからすっかり取り残されていると同時にこの世界の流れに巧みに乗っているようなそんな娼婦の生き様を静かに見せられているような気がした。自分の人生よりも快楽の方を信じているというか、人間よりもセックスを信じているというか、うーん、ここでも人間なんかとうに消えてなくなっているようなただそこに身体と快楽が放り投げられているニューヨークの空気がそれはそれで悪くないと思った。これだけ「危機」が叫ばれる世間を、騒々しい巷を生き抜く術は、この映画で静かに強く生きる彼女の語りと振舞いの中にヒントがあるようなないような。

さらに満を持して前田陽一特集。「にっぽんぱらだいす」はせんせーの処女作。「洲崎パラダイス」(川島雄三)、「女生きてます」(森崎東)、「浪速エレジー」(溝口健二)やら何やら娼婦を題材にしたたくさんの日本映画のひとつ。あ、「女生きてます」は脚本を読んだだけでうろ覚えだけど、ヌード小屋の話だったっけ。ソダーバーグの映画もそうだけど、娼婦として生きる生き方をどこまでも肯定する映画。売春防止法施行以降、人間と快楽はおおっぴらに切り離されて、どうも自分の人生を生きるしかできなくなったのか。せんせーはロメロのゾンビのように娼婦を人間なんかに屈しない存在として、快楽の側に立ってマッチョな戦後史を鼻で笑っている。香山美子の極度の諦めがそのまま人間の外側で生き抜く極度の強度となったような視線を確かめると、そもそも「現実」なんてどうでもよくて、「現実」に対してどのように「娼婦」として振舞えるかが彼の映画の肝になってゆくかが処女作で宣言されている。「娼婦」として生きていれば、何も終わらない、終わらせない。だから、「喜劇 右向け左」では太平洋戦争の記憶と経験を引きずったままさえないサラリーマンとして生きる課長が自衛隊体験入隊したとたんに生き生きしはじめたり、「進め!ジャガーズ 敵前上陸」ではイーストウッドに先駆けて唐突に硫黄島ロケを敢行して、硫黄島での激戦の記憶を平和ボケしていたはずの観客たちに喜劇のふりをして見せつけたり、「喜劇 命のお値段」では、土本典昭水俣へ向ってドキュメンタリーを撮り、公害についての告発を始める時期にイタイイタイ病でなく「カユイカユイ病」なる病気を創造し、偽医者であるフランキー堺自身が自ら被害者になって公害を告発すべく、添加物たっぷりの加工食品を食べ続けることで、高度成長まっしぐらな巷につばを吐きかける。
「偽物」、「娼婦」。または「現在を偽物で埋め尽くす」ことで誰もが「娼婦」として生き始めるような契機をほのめかすこと。どうみても企業や大手芸能プロダクションの都合が無理やり盛り込まれた映像がしっちゃかめっちゃか挿入されている作品を見ると、ひとつひとつの映画の出来はさておき、企業やプロダクションという資本の論理に対して「娼婦」として付き合うことで、一見したところ「タイアップ映画」にしか見えない彼のいくつかの映画も「にっぽんぱらだいす」の香山美子のように、マッチョな世間に屈しないための、「戦争を終わらせない」ための作戦を実行した華々しい栄光の記録のように見えてくる。彼は常に笑いながら「敵前上陸」を続けるのだ。そして上陸後は誰ひとり敵を殺さず、ただひたすら敵の思うがままに身を任せ(ジャガーズのPVにも見える作品や、唐突にコマーシャルフィルムと見まがうショットが挿入された作品など)、それでも最終的には、プロデューサーにもスポンサーにも気付かれないように「偽物」と「娼婦」が勝利する映画を撮り続ける。