ギー・ドゥボール特集

今回、アジアでギー・ドゥボールの撮った映画6本全てが初めて上映されるということで、日仏学院は立ち見(座り見?)が出るほどの観客が集まっていた。
そもそも、ギー・ドゥボールの本は1冊も読んだことないが、とにかく見てみた。
考えなきゃいけないことはたくさんあるような気がするが、6本見てまず思ったのは、ありとあらゆるスペクタクルを批判していたはずのギー・ドゥボールがこのような多くの観衆の元にスペクタクルとしてさらされてしまっては、言ってる事とやってることが違うのでは?という素朴な疑問だった。
1952年、ギー・ドゥボールの最初の映画「サドのための絶叫」は5人の男女によるナレーションと白と黒の画面が交互に写し出されるというもの。どうやら、52年の段階で「映画は死んだ」という認識の元、何も投影されていない真っ黒の画面の前に観客を座らせることで、黒い画面を映画の墓場のようなものにしたかったようだ。
その後ドゥボールは、世間的には最も評価が高いと言われている「われわれは世に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを」(1978年)まで、他の映画の「転用」と地図や写真を使用した「静止画」と、主に風景を捉えた「移動撮影された映像」にドゥボール自身のナレーションを加えた映画を撮り続けていく。今回、全て見たあとに、彼の映画の可能性やら不可能性やら臨界点のようなものは「サドのための絶叫」にあるような気がしてきた。
手法とか同時代性とかはさておき、「サドのための絶叫」以降の映画はどちらかというと映像は2次的(たぶん言い過ぎだが。。。)で、ドゥボール自身の「声」を耳を澄まして聞く、ただひたすら聞く、というような映画だった。
いや、であるならば画面に何も写らない「サドのための絶叫」の方が「ドゥボール自身の声」を聞く映画だろう、とつっこまれそうだが、「サド」の場合ナレーションがかぶさる「白い画面」では確かにドゥボールの声を聞く映画だったが、ナレーションすら聞こえてこない「黒い画面」(特に映画の最後では24分間続き、何のクレジットもなく映画は終る)にドゥボールの映画のリミットがあるのだと感じた。
ここで、廣瀬純の「シネキャピタル」に話題を脱線させてみる。
「サド」が撮られた52年を乱暴に50年代(どうやらドゥボールは50年代という時代に非常に愛着があるようだ。50年代のパリという街、「われわれは夜に〜」で突然聞こえてくるアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズの音楽など)は、ヒッチコックが「めまい」(1958年)を撮影している。もちろん、50年代にはその他たくさんの映画をヒッチコックは撮っているが、「シネキャピタル」では、「めまい」はそれまでの映画=資本(シネ=キャピタル)の剰余価値を生み出してゆく仕組みが確実に変化している映画だと指摘されている。それまでの「サプライズ剰余価値」から「サスペンス剰余価値」へ変化していると。
「サプライズ剰余価値」と「サスペンス剰余価値」の違いはザ・ドリフターズ志村けんと観客の関係に例えて自分なりに考えると以下のようになる。
ドリフターズが壇上でコントをしている。ステージの上の志村けんの頭上からどうやら金だらいが落ちてきそうだ。そのことに志村けんは気が付いていないらしい。観客席にいる少年たちがステージにいる志村に向かって「志村うしろ〜!!!」って叫ぶ。危ない、志村、と。その状況が「サスペンス剰余価値」だと思う。それに対して「サプライズ剰余価値」の方は「志村うしろ以前」と言える。志村を見つめる観客たちも志村が次にどのような状況に陥るのかを知らない状態のまま、志村と共にびっくりさせられる状態のこと。つまり、志村の頭上には危機がまさに迫っていることを観客が予め知らされていないか、知らされているのか、という違い。それが「サプライズ剰余価値」と「サスペンス剰余価値」の違いだと思う。
「めまい」以降のヒッチコックの映画はその「サスペンス剰余価値」を増殖させてゆく映画=資本(シネ=キャピタル)として作られていくと「シネキャピタル」では語られる。そもそもドゥルーズの「シネマ」(時間=イメージの方)を参照にして書かれた「シネキャピタル」一部分なので、このことはドゥルーズがすでに指摘していたことなのかも知れないが、「シネマ」読んでいないので気にせずに続けると、廣瀬純は「シネキャピタル」において、ヒッチコックを資本の側の領袖のような作家として貶めている。それは、ヒッチコックが捻り出した「サスペンス剰余価値」の増殖手法は、時代が下って映画館の外に現れる「金融資本主義」を予見していたものだ、という理由で。
要するに剰余価値を継続的に成長させながら生み出してゆくために限界が来ていた実体経済に対して、金融資本主義によって、資本の危機を先延ばしに(フォーディズムからポストフォーディズムへ?)していった「資本」の手法はヒッチコックが先に考えていた。だからヒッチコック(の映画)は「資本」と同じ(シネ=キャピタル)なのではないか、と。
はてさて以上を踏まえて、ドゥボールの話に戻ると、ヒッチコックが「サスペンス剰余価値」を生み出そうとしていたころにドゥボールは「サドのための絶叫」を撮ったことになる。実際、映画=資本を殺そうとして撮った。「黒の画面」を「映画の墓場」とすることによって。だけれども、ちょうどその時にヒッチコックが映画=資本を生き延びさせるために「サスペンス剰余価値」増殖手法を編み出してしまったという事実は、なんだかドゥボールの敗北を予感させる。
ドゥボールの本を全く読んでいないものが言うと、世界各地のシチュアシオニストに殺されそうだが、シンプルにそんな感想を持った。
つまり、「ドゥボールは言っていることは正しい(勝てるかも、いや負けるかも、でも負けないぞ!)かもしれませんが、どうもやってる事が正しくない(そのままでは負けるかも)」ということ。
実際、自分は「サド」の中で「白い画面」と交互に現れる「黒い画面」を見ていたとき、襲ってくる眠気にたえる意味もあったけれど、「この映画ではないこと」(例えばエロいこととか)を必死で考えたり、画面も見ずに指を思いっきり噛んだり、手を抓ったりばかりしていた。あまり画面そのものに、映画の墓場そのものに集中できなかった。ドゥボールは「サドのための絶叫」において「黒い画面」を「映画の墓場」としてのスペクタクルとしてすら観客には提示できなかったのではないか、でも、だからこそ、その挑戦の限界にこそドゥボールの撮った映画の最初にして最後の臨界点があったのではないか、とまあ、そんなとりとめのない感想を抱いた。

「映画に(反)対して」という豪華なパンフレットが売られていたので、買った。最後の方にオリヴィエ・アサイヤスドゥボールについてインタビューを受けたテキストが載っていて、それを読むと、上記のような感想なんてどうでもよくて、ドゥボールから「現在」に生かせること、学ぶべきところがたくさんあるようだから、そのことについては、これからゆっくり、だらだらと考えてみることにする。