ほうかごぼうきゃくくらぶ

泳いでばかり。
大人の世界に再び戻れるのか。
先週の土曜日は「真夜中の湾祭り」@バウスシアター。当日券発売開始に向けて自宅を出たのが19時。自転車乗って15分で到着。チケット番号は26番。どうやらあまり今回はあまり混雑しないらしいぞ。祭り中の再入場券にもなる湯浅さん特製手ぬぐいをもらう。さっそく首に巻こうかと思いきや開場まで3時間以上あるのでやめる。独りでピザ食べてビール2杯呑む。まだまだ時間はあるので本屋行く。買おうとしていた本が何かすらも忘れたので、テキトーに立ち読みして出る。平積みの商品にはマイケルの写真がまだまだたくさん目立つ。死者でメシ食わせてもらうのね。吉祥寺は来るたびに人が増えてる感じがするくらい人が多い。ハモニカ横町のモスクワでギネスビール頼もうと店に入る。モスクワではさいきん、ジンジャーハイボールなる呑みものが流行っているらしいが、未だ呑んだことない。キンミヤというさいきんスーパーでも見かける甲類の焼酎をジンジャーエールで割ったもの。立ち呑みは疲れるので座って呑む。ギネスは止めて白ワイン。2杯目呑んでいたら友人着。3杯呑んで、やっぱりギネス呑む。話題は万引きやら山田うどんやら疲労やら。隣のおじさんおばさん二人組はドライトマトを注文する。反対側のおばさん二人組は赤ワイン呑みながら焼き鳥を食べている。おばさんの後ろにある2階へ上がるための階段にいたおにいさんを振替って見る目つきがいやらしいおばさん二人組。赤ワインと焼き鳥で話し込むおばさん二人組はなんだかみすぼらしくて、貧乏くさい。そういえばモスクワのカウンターの奥、いつもドラフトのギネスをついでくれるのもおばさんで、そのおばさんもみすぼらしい。みすぼらしいおばさんのお店でみすぼらしいおばさん二人組が呑んでいると店全体もみすぼらしくなってきて、あんまり、いつもかわいい、キレイなおねえさんやかっこいいおにいさんが来店しない、その原因になっているのか。タバコは6本すって、早めにバウスシアターへ戻ります。タバコ購入して劇場に行くと、ひとの数はそれほど多くはない。ゆっくりと開場されて、いつもは劇場右側後方の席にしか座らないけれど、ライブと朗読とレコード鑑賞ということで、始めて前方右側、バウスの巨大スピーカー前に座る。なぎ食堂とか円盤とか出店がでているためか、客層も普段の爆音ナイトよりもゆったりまったりしたかたがたが多い気がする。気のせいかも。湯浅湾のライブ、いしいしんじ小説執筆と同時に朗読ライブ、レコード鑑賞会はどれもバウスで行われてきた爆音上映よりも「爆音上映」として成熟しているような。上映はないけれど、「爆音上映」が「音を見る」イベントだとして。特にレコード鑑賞会では、午前3時ごろから始まったためいつもの上映なら3本目あたりで、眠くなってくるタイミングなのだけれど、レコードをかけるたびに、巨大スピーカーを見上げる湯浅さんといしいさんの姿を見ているとどこか「見えないものは見えないけれどどこだどこだと探しにいってしまう少年」のように見えてきて、睡眠と覚醒の間くらいの状態に据え置かれる。音は見えない。音は存在しない。存在すらしないものを見に行こうとふらふらスピーカーの前まで歩いてゆく。やっぱり音は見えない。もう一枚レコードをかける。再びスピーカーの前まで歩いてゆく。スピーカーを見上げる。やっぱり見えない。でもなんかある。存在しないけどある。少なくともさっきまでいたような気がする。そのさっきまでいたような気がする感触を毎日毎日忘れずに耳を通して感じ直すこと。そんなこんながレコード鑑賞会を通じて30過ぎの身体にやってきた夜から朝だった。