スーデラ節

一昨日。西荻窪で待ち合わせ。早めに到着するようにして古本屋でベンヤミン全集の続きを買おうと思ったら、閉店なり。しょうがないので、隣の鉄道模型屋の古本棚を覗いていたら、ビデオも売っていたので「アラン」(ロバート・フラハティ)を300円で購入。駅前のアイリッシュバーでギネスのドラフトを呑んでいると友人到着。
西荻の南口に小さなゴールデン街があるとはつゆ知らず、カウンターとテーブル席1つの小さなお店で、豚づくし。特に豚足は最高美味。ビールをチェイサーにして、紹興酒をがぶがぶ呑みほすと、すぐに酩酊。2件目にいく途中で意識が朦朧となりながらも、こちらもカウンターのみの店で、白ワイン。ワインはおいしいけど、カウンターに共に座る女性二人組の上から目線の話し方に幻滅。意識も幻影に変わり始めたところで解散。タクシーを乗らなくなってから久しいけど、さすがに帰りの自転車はフラフラで、自宅のカギを壊すほどのていたらく。とほほ。。。
翌日は、いやな感じの二日酔いを抱えて六本木へ。ライブの前に、六本木ヒルズにあるシネコンで「ザ・バンク」(トム・ティクヴァ)。10人くらいの客数で、やたらと座り心地のよいシネコンで映画を見るというのもなかなかよい。主演のクライブ・オーウェンは始めから終わりまで主役の顔じゃなくて残念な感じ。ナオミ・ワッツはこの映画でも傷つけられていて、彼女へのサディスティックな欲望はこの映画でも少しだけ実現されていて、妙に安心。なんなんですかねえ。「イースタン・プロミス」といい、「ファニーゲーム」といい。でもその欲望は誰のもの?
ヒルズを後にして、西麻布はSuperDeluxeへ。湯浅湾3時間ライブ。
3時間という時間はほとんど長く感じられず、たっぷり堪能。ライブ自体の仕掛け人の意図があるのか、はたまた会場の雰囲気がそうさせるのか、いや集まった観客がそうなのか、そうでもなく、やっぱり湯浅湾が作り出す音と時間と空間がそうさせるのか、会場全体が一体感に包まれるのではなく、観客一人一人と湯浅湾の音が向き合う、向き合えるような時間だった。だからこそ3時間ぶっ通しのライブでもちっとも疲れず、帰りは、六本木通りを渋谷まで歩きながら、「ミミズ」を口笛で吹いていた。「豚は悪くない」っていう曲が新しく発売になったアルバムには収録されていて、帰宅してから何度も聞いていると、湯浅湾の音は、「豚は豚である」という世界の認識の仕方をただひたすら丁寧に辿り続ける、といういたってシンプルで、しかも勇気に満ち溢れたものなのだなあと妄想した。たぶん、「豚は豚である」と「わたしはわたしである」ではやっぱり違って、どうしても「わたしはわたしである」の方ばかりにかまけてしまいがちだし、かまけたとたんに「わたしはわたしである」は不安定に揺れ始めるのだけど、そこは全く気にせずに、「豚」」のことをひたすら考えるという志向と思考は、ニヒリズムが蔓延しがちな昨今ではホントに貴重なものだと思う。
会場にいく途中のABCで買ってしまった「夜戦と永遠」(佐々木中)を読んでいたら、こちらはこちらで勇気が湧いてくる内容で、というか内容は理解できなくとも、何より一文、一文が短くて、そのリズムを辿っているだけでも、興奮してくる。まだまた読み始めだけど、ラカンとかフーコーとかルジャンドルとか固有名はさておき、みんないっせいに、すべてをやり直せる、やり直さなきゃならない、そんな勇気がこちらでも湧いてきた。変な一日。