Preparing for the picture,Niju-bashi.Palace Plaza Tokyo 1951

生まれてはじめて、写真展なるものに行ってみる。「ワーナー・ビショフ写真展『Japon』より〜新しい日本と永遠なるもの 1951−1952」。九段下は昭和館にて。開館10周年記念だからなのか、入場料は無料。
ロバート・キャパらが設立したマグナム・フォトという団体のことも知らず、そしてそもそもろくすっぽ写真をじっくり見ることがなかったため、始めはどのくらいの距離で、どのくらいの時間をかけて見ればよいのか不安だった。
始めの1枚「二重橋前での記念写真 皇居」(1951)の前にたって、そんな不安はどうでもよくなる。皇居のお堀の前に立つおばあちゃんとおじさん。(九州の離島で一生を終えた自分の祖父も皇居で記念撮影をしていて、まさにその時見た写真と同じ場所だ。)おばあちゃんはどこを見つめてるのだろうか、フレームの外側なのか?隣で着ているシャツを整える男性。どのように書き記すべきなのかさっぱり分らないけれど、51年、52年に撮影された映画で使われたフィルムカメラの内部で、撮影中に回転するフィルムとフィルムの間で感光を逃してしまったような時間が、そこにはあったという妄想はどうだろう。続く、同じ皇居前の写真では、複数の若い男女が洋服を着て立っている。この1枚においても、彼らはいったいどこを見ているのだろうか?既視感の全くない人物の立ち姿、フィクションとしての空間が強く投げ出されている。その後も「小さな花売り娘 銀座」や「楽屋の踊り子」で見ることができるストリッパーの姿に茫然と立ち尽くしながらもなんとか歩き出す。1951年の広島で撮影された写真。「原爆被爆者 広島」と「原爆被爆者の背中 広島」の2枚では、被爆者の正面からシャツを脱ぐ姿が捉えられ、もう1枚ではシャツを脱いだ後の背中が捉えられる。それぞれの写真がお互いに起立、独立してありながら、まったく異なる写真としてありながら、2枚セットで交互に見ていると、そこには途方もない長い時間を費やさなければそれぞれの写真によって捕まえられた世界に留まることができないような、恐ろしい感覚を得る。
無償だからもう1度見てみることにする。
九段下からそのまま歩いてアテネへ。
7日目は「ニッポン古屋敷村」(1982)。この長い長い映画を見ていていろいろ思い出しながらも、小川紳介が、この映画までも、そしてこの映画でもカメラの前で捉える対象に対して、常に「残酷」な何かとして対峙している、という印象を新たにする。どうも彼は、「青年の海」から「三里塚」まで、目の前で繰り広げられる闘争や悲劇に対して、一貫して「冷徹」な存在として寄り添っていたのだと。そもそもいちばん始めに見た「小さな幻影」のラストシーンの2つのカットで既に宣告されていたのかもしれないけれど、「古屋敷村」を見なおして、「小川紳介は世界に対して残酷である」という認識は、そんなに間違っていないのではないかという気がしてきた。