あかかぜ

自宅の南側、目の前には自分が住む集合住宅のオーナー一家の所有であろう土地が畑としてある。周辺を散歩していると江戸時代の豪農だったのか農民の家にしては大きすぎる屋敷が、同じ苗字の表札が付いて、広範囲にわたって見ることができる。自宅前の畑では、カボチャや長ネギ、キャベツなどを生産するために農作業を行うおじさん、おばさんがいるが、そんなの過去の豪農にして、現在の金持ちの暇つぶしにしか過ぎないのだろう。風の強い日は、ベランダに面する窓とサッシュが土まみれになるほど、茶色に汚れる。
小川プロ6日目は、「三里塚・五月の空 里のかよい路」(1977)、「牧野物語・養蚕編」(1977)、「牧野物語・峠」(1977)の3本。ベランダに吹き付ける自宅前の土ぼこりなぞ金持ちの暇つぶしのおすそ分け程度で、何が楽しいんだか今日も農作業をしているおじさん。三里塚では、そんな金持ちと暇な失業者の呑気な関係とは全くことなり、親子3代にわたって耕し、作物を育て、生活を成り立たせてきた土地が、「赤風」と呼ばれる強風が吹き荒れる5月に、「赤風」によってではなく、その「赤風」をもろともせずに上空を飛ぶヘリコプター、そのヘリコプターを飛ばす公団、国家によって、耕作不能になるまで破壊されるさまが「三里塚・五月の空」では描かれる。
三里塚・岩山に鉄塔が出来た」の最後に鉄塔建設に尽力した鳶の青年が塔の下で、幼い娘とのどかに佇んでいた5年後。鉄塔はまるで東京タワーのように補強され、反対同盟を支援する学生たちが見張り塔として常駐している。目の前には、政府所有の土地があり、アスファルトで舗装され、全国から動員されてやってくる大量の機動隊員たちが監視している。そんな物々しい状況のなか、ある日、早朝からの鉄塔に対する「家宅捜索」(?)に続いて、鉄塔は倒される。鉄塔が倒れる画面では、カメラがそこにしか据えられなかったのかロングショットとして、音もなく、右奥に写る鉄塔がゆっくりとゆっくりと倒れてゆく。あっけなく。
続くシーンでは、鉄塔が突然倒されたという知らせを受けて、ちょうど田植え作業に従事していた反対同盟の農民たちがカメラのすぐそばの斜面に集まり、なすすべもなく、どちらかというと穏やかに座り込んでいる。差し入れとして持参したおむすびをみなでほうばる。小川紳介は7個も食べた模様。もはや農業ではなく闘争の継続が日常そのものとなっている反対同盟の人々にとっては、鉄塔が倒されようと闘争はそれまで同様日常として継続してゆくことしか考えていないのだろうか。
次に写される鉄塔が倒された後の機動隊と同盟支援の学生の衝突シーンは、「三里塚・第二砦の人々」での泥まみれの闘争とは全く異なり、アスファルトを地面とした催涙弾の発射を伴う機動隊の圧倒的優位の元に、もはや衝突ですらないかのように見える。警防で青年行動隊所属の女性の口と性器を突いた機動隊の警棒は、まるで警棒の先端部分だけを飛ばすことができるようなプラスチック製の「催涙弾」に替わる。「第二砦の人々」では性愛映画や戦争映画、西部劇に見えていた世界が、この映画ではどうしようもないSM趣味のポルノ映画にしか見えない世界に変化してしまっているのだろうか。
そんな変化を、冒頭のタイトルと共に写される地元神社のご神体としての「埴輪」は、「埴輪」の穴の空いた、穴としての目は、どのように見詰めていたのだろうか。
三里塚を再び離れた小川プロは牧野村へ再び戻り、養蚕に携わり、蚕育ての過程を逐一記録してゆく「牧野物語・養蚕編」。ようやく大きく育ち、作業部屋の外で、放し飼いにされた蚕が桑の葉を食べる画面では、桑の葉を咬み千切る音までが正確に記録されている。三里塚の上空で聞こえるヘリコプターの轟音の記録から、牧野村の蚕が桑の葉を食べる音の記録へ。いずれ製糸会社による生産という資本主義の手によってこの土地から引きはがされてしまうかもしれない牧野村で毎年小さく小さく聞こえている「桑の葉を食べる音」にまで耳を傾けることで、三里塚の闘争に並走するだけでは聞こえてこない農民の声、根なし草になりつつある人々の声と向き合おうとしているのかもしれない。
「牧野物語・峠」では、詩人・真壁仁へのインタビューが中心だが、途中途中で挿入される地元農民たちが語る昔話や、雪の山道を歩くための装備の事細かな説明などの方が気になる。