After The Gold Rush

それでも闘いは続く。ニール・ヤングが「After the gold rush」を発表した年、「三里塚の夏」では、どこか彼岸の武装集団にも見えた機動隊たちは、公団の測量チームと共に、農民や学生たちに一気に接近してくる。
小川紳介特集3日目。
「日本解放戦線・三里塚」(1970)、「三里塚・第三次強制測量阻止闘争」(1970)、「三里塚・第二砦の人々」(1971)の3本。
大多数の農民が空港建設賛成にまわってしまい、闘争は家族や血縁を超えて、「本物の絆」を農民同士で探し出し、闘いの後には、深い内省の時間が訪れる。農民たちを支援する学生も多数存在するが、「日本解放戦線・三里塚」以降、被写体はあくまでも農民たちがメインとなり、学生運動家たちは遠景においやられる。
内省は自らの出自にまで及び、三里塚は先祖代代住まう故郷ではなく、日本のどこか別の場所から引きはがされ、開墾、開拓して切り開いた場所であることを明かす農民もいる。家内安全、豊作を祈るために拵えた小さな社も闘争のためには必要ないのであろうか、自分たちで取り壊したりもする。
それまでモノクロであったはずが、カラーフィルムで撮られたこの映画の中で、取り壊された社と背景で逆光となって光る太陽を共に捉えたショットは、西部劇を見ているかのような錯覚に捉われていたら、フィルムは再びモノクロームに戻り、ヘリコプターのけたたましい音と共に、公団の測量チームが突然襲い掛かってくる。「第三次測量阻止闘争」。
糞尿談を機動隊にまきちらし逮捕される孤独な農民。反対農民を組織する委員長である老人は、拡声器を使って機動隊を告発する。青年行動隊に参加している若い娘が先日、機動隊の警棒によって口のみならず、性器までも突かれたと。公団と機動隊の攻撃が激しさと強引さを増すなか、農民たちも武装を始め、砦を建設し、穴を掘り、闘争は激化する。
三里塚・第二砦の人々」。カメラの前には、突如広場が出現し、砦のこちら側と向こう側に農民・学生と機動隊・公団が対峙する。まるで戦争映画の撮影現場のように。雨が降りしきるなか、泥まみれになりながら、広場では、農民、学生、機動隊、公団職員に加え、新聞記者、報道カメラマンたちも加わり、カメラは彼らすべてを写しだし、画面は混沌を極め始める。
闘争の主体であった農民の男性に加え、女性たちの強い意志とロジカルな戦略提案があり、公団測量チームの計画はなんとか遅延させることに成功はする。
国家権力の行使としての機動隊と農民たちが最接近し、ぶつかり合い、泣き叫び、悲鳴を上げるとき、そこにはどこか権力と農民が交い、交接し、絡み合う時間と空間が作られていたような気がした。どこか「性愛」の空間と時間そのものとして。国家権力と真に闘争するとき、「西部劇」でもあり、「戦争映画」でもあり、「性愛映画」でもあり得るような時間と空間が出現する。そんな確信に満ちた錯覚に陥ってしまう3本のフィルムだった。
「第二砦の人々」の最後に、カメラは砦手前の穴の内部に入ってゆく。そこでは削れているのかさっぱり分らないほど、固い岩盤に向かって、鍬と鎌を撃ちつける二人の農民が映し出される。この岩盤を掘り崩すことはできるのだろうか。鎌と鍬が岩にあたって響く乾いた音と、映画の冒頭、タイトルバックで聞こえてきた不気味なノイズが混じりあい、これからも続く闘争の恐ろしさが身体中に浸み込んだところで映画は終わる。
それでも闘争は続く。