Bカメラをまわす

いい年した大人が午前中から家で家事をしていると、このまま主夫になってもいいのではないかという気がしてくる。たまにベランダでタバコを吸っていると隣に住む同世代の奥さまの気配を感じて、なんだか気まずい思いをしながらも、いや、主夫のみならず、このままおにいさんおねんさんにでもなって、出奔してしまおうかな、という不埒な考えも頭をよぎる。
朝から、ハローワークで講習会を済ませてから、一旦自宅に戻り、掃除してお米研いて炊飯器セットしてから、アテネへ。
小川紳介特集2日目。「日本解放戦線・三里塚の夏」(1968)と「パルチザン前史」(1969)。
「圧殺の森」と「現認報告書」を見たときに「発話する人物の口の動き」に対して「声が遅れてやってくる」と感じたが、どうやら、違うのかもしれない。「日本解放戦線・三里塚の夏」を見ていると、そもそも「口の動き」と「声」は全く合っていない。どちらが先でどちらが後かすら分らない。画面に写っている人物が話している声、言葉なのかも分らない。画面を追っているうちに、見ている画面と音が断続的にずれていくことに混乱をし始め、その後には、「画面」と「音」の二つの層がばらばらにそこにあることに少しずつ慣れてくる。彼らはそこにある「身体」だけでなく「声」というもう一つの手段を用いても戦おうとしているのだろうか。
「圧殺の森」や「現認報告書」ではどちらかというとどこにカメラを据えたらよいのかという不安が感じられたが、「三里塚の夏」では、チラシのキャプションにもあるとおり「全部(のショット)を農民の列中から、その視座から撮り、権力側を撮るにも、正面から、キャメラの存在をかけて、それとの対面ですべてを撮った」ということで、徹底的に農民の側から農地に測量にやってくる公団と機動隊を捉える。途中、メインのカメラマンが逮捕され、すかさず「Bカメラをまわした」と黒バックに白抜きで文字が写し出され撮影が継続されていったところは、思わず笑ってしまった。とにもかくにもBカメラでの撮影は続き、目の前に立ちはだかる機動隊員たちの一人一人の顔をゆっくりとパンしながら映し出してゆくシーンでは、闘争の対象を正視すると同時に、共闘する農民や学生だけでなく、敵である機動隊員たちとの距離感も縮まっていくような予感があった。
最後に、三里塚の農地、林、森を長々と空撮で捉える。モノクロームで空から写される三里塚は、モノクロームであることを忘れ、いったい何色の世界がそこに広がっているのかが分らなくなるほど、不気味で、異様で、おぞましい空気に満ちていた。
パルチザン前史」は既に見たことがある作品のなかでも印象深かったのでいくつかのシーンは覚えていたが、ほとんど忘れてました!。監督は土本典昭で製作は小川プロ。京大全共闘パルチザン5人組のなかでも中心となる滝田修が自ら起こしたアクションがいかに矛盾に満ちたものであるかを明確に意識しながらも、矛盾を丸抱えしながら生きてゆく様が描かれる。京都大学の助手という立場でありながら、大学解体を訴え、全共闘に参画し、二人の娘を育てる父として難波の予備校教師として日銭を稼ぐ日々。映画も終わりを迎えようとするとき、自宅でローザ・ルクセンブルグの手紙を朗読した後、娘さんであろう幼い子どもを自宅前の空き地で抱きかかえ抱擁するシーンは、これからどのような形で闘争が継続され、またされ得なくとも、滝田修という登場人物が決定的にその日、その場所で生きているという事実を観客に突きつけてきて、最も美しいシーンと感じた。
中盤の終わりの方で大学を占拠中のある日、突如画面に現れた女子学生が、筆を持ち、キャンパスの柱に「斗(たたか)うぞ」とゆっくりと書きつけて、画面から消えていくシーンもこの映画の流れには全く関わらない存在であるにも関わらず、撮影された世界の「外側」を垣間見させ、強烈な印象を残した。