「007/慰めの報酬」マーク・フォースター

土曜日。半年ぶりに風邪をひく。ここぞとばかりに朝からジムへ向かい。ハードワーク。ひととおりのトレーニングを終え、風呂に入ったころには、なんとなく身体は軽くなっている。自宅に帰って昼寝。娘と妻を迎えにいって、夕食の準備。カボチャのサラダとほうれん草のおひたしがめっぽううまい。
日曜日。朝から掃除と洗濯。長野のお土産として頂いたお蕎麦を食した後は、娘を寝かして、年始に録画していたNHKで放送された立川談志の特番の続き。「居残り佐平次」。この番組の中で最後のネタとなる場面。NHKのスタジオで収録された51分にも及ぶ噺は、5台も設置されたカメラを巧みに生かして、噺のなかの登場人物同士の切り返しと、噺の外側にいる談志自身の自己批評、自己言及という二つの層をいったりきたりしながら、まぎれもなく「いまここに」佐平次を再現していた。
夕食の買い物と、新調した家具の受取を終え、娘と風呂に入った後に、未だ風邪気味の身体をもって、バウスシアターへ。「007/慰めの報酬」(マーク・フォースター)。熱でぼーっとしながら、やたらとカット数が多い、というか多すぎる冒頭から、悪役で配役されたマチュー・アマルリックが登場するあたりまでたどり着く。マチュー・アマルリックがボンドと格闘するシーンがあって、彼のアクションシーンを始めてみたのだけれど、動きが鈍いわりには、ボンドと互角の戦いを見せていて、彼は彼なりに鍛えているのかなあとどうでもよい感想を抱く。
帰宅した後、今更ながらベンヤミンの「ベンヤミン著作集1」を読みかえす。以下は、1933年に書かれた「経験と貧困」からの引用。

 経験の貧困、これをなにかひとびとが新しい経験に飢えているかのように、理解してはならない。ひとびとは逆に経験から解放されることを渇望しているのである。外面的な貧困であれ、結局は内面的な貧困であれ、貧困そのものが、すっきりしたかたちであっさり公認されるような環境、貧困が恥ずかしくないことになるような環境に、むしろ飢えているのである。またひとびとがつねに無知であり、未経験であるというのも、まちがっている。むしろ逆の主張さえできるはずである。ひとびとは<文化>も<人間>も、一切合財、「むさぼるように呑みこんで」しまったのだ。いやというほど食って、もううんざりしているのだ。シェーアバルトのことばは、ひとびとの気持ちをみごとにいいつくしている。「きみたちは、みんなもううんざりしているのだ。なぜかといえば、きみたちが、きわめて単純な、それでいてきわめて壮大な計画に、思考を集中できないからである。

「壮大な計画に、思考を集中」させるために、もう少しゆっくり呼吸をして、やり直そうと思います。