「地球が静止する日」スコット・デリクソン

いよいよ世界は崩壊に向っているのだろうなあと呑気に構えて、週末は家族で買い物に出かける。宮益坂は澤の井でうどんを食べた後、表参道でキャビネットを物色。欲しいと思ったものがあまりにも高額なのと、結局何を収納するのかで、今後の引っ越しを考えると結論が出ずに陶器のワイングラスだけを購入して店を後にする。途中、青山ブックセンター本店でクリスマス前の絵本フェアーで子供とあれやこれやとページを繰る。娘はといえば、本を買う、という行為自体が未だ理解できない様子で、「これ借りる」と云う始末。さすがに借りることはできないので、適当に一冊を選び、レジへ向かう。以前、読者プレゼント用に購入してみた紙屋さん、「竹尾」がプロデュースする手帳「Dressco」シリーズを買うか否か迷いに迷ったあげく、何も買わずじまい。それにしても、渋谷、表参道は以前から疲れる街だという認識でいたけれど、現在の渋谷、表参道、特に渋谷の疲れさせる度合いは尋常ではなくなってきている気がする。スクランブル交差点の巨大液晶画面が発し続けるコマーシャルのメッセージだけでなく、とにかく一時も一定の場所にとどまり、滞ることを許さない動線、渋谷の渋谷たる所以、駅周辺の「谷」に溜まっていく欲望やら怨念やらエネルギーやらが、もはや10分たりとも落ち着いて息をすることも許さないような状況を保ち続けている。はぁ、もう渋谷はいやじゃ。
やたらと暖かい日中は、ぐったりと過ごした日曜日。それでもなんとか自転車をこいで吉祥寺へ。
地球が静止する日」(スコット・デリクソン)。できれば地球とまで云わず渋谷を静止させて欲しいと思いながら劇場に駆けつける。「マトリックス」でも「コンスタンティン」でもいいけれど、何か地球や世界を救ったりしてくれる力を持つ男はどうやらキアヌ・リーブスしかいないのかと思う。この映画でも、地球外の惑星から派遣されてきた地球を救える可能性を持つ男として彼が登場。
危機的状況を受け入れる地球では、やっぱり女性しかいないのか、民間人代表としてジェニファー・コネリー、合衆国大統領の右腕として陣頭指揮をとるキャシー・ベイツ。「クローバー・フィールド」で見た記憶のあるニューヨークのどこかにある陸橋。「ハプニング」で描かれる世界を襲う人間を自殺に追いやる「空気」のようなものの替わりに小さな小さな金属の昆虫が世界を溶かしてゆく感覚。近年のアメリカ映画では頓にありとあらゆる方法で世界を崩壊に導こうとしているのは分るけど、どうもこの映画のテンションが低いのか、一向に乗れない。
すべてをキャシー・ベイツに一任して、決して姿を見せない合衆国大統領。映画全体を通じて大統領が世界の崩壊を黙って見つめているようなどこか人ごとのような視点の設定は、DVカメラを操る個人の視点を中心に語られていた「リダクテッド」や「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」、「クローバー・フィールド」と異なる感触がある。
世界の崩壊を見せていく最近の映画のなかでは、一呼吸おいたというか、上映時間の短さ(90分にも満たないように思った)という面でも変化が見られたために、次に見るアメリカ映画では、異なる方法、視点で世界の崩壊を語っていくのでは、とこちらも人ごとのような感覚を持ちながら、生暖かい空気とやたらと強い風が吹く武蔵野台地を自転車で走りながら帰宅した。