「ブーリン家の姉妹」ジャスティン・チャドウィック

乗りなれない西武池袋線飯能駅まで向かう。駅周辺は池袋からの距離の遠さを考えると予想もつかなかった賑やかな町。目的地である小岩井浄水場へは駅からタクシーで15分。駅に降り立ったときから「山の匂い」がすると思ったら、タクシーで走りだしてすぐに景色は秩父山に繋がっているのであろう山が見えてくる。浄水場に到着することにはあたりにはひっそりと暮らしているのかしらん、少しばかりの住宅と、見上げる先の山。
企画協力をお願いしているゼネコンの所員の方はとても良くしてくださり、今回の取材もうまくいきそうな気がしてきた水曜日。
朝から全く仕事をするきがおきず、独り言で悪態つきながら雑務をやり過ごし、夕方銀座で打ち合わせを終え、シャンテ・シネで「ブーリン家の姉妹」(ジャスティン・チャドウィック)。木曜日の夜の会だからか、劇場にはおじさん、おばさんがパラパラいる程度。
ナタリー・ポートマンスカーレット・ヨハンソンが出ている映画だと思って見てみたら、ヘンリー8世役はエリック・バナスピルバーグの「ミュンヘン」での陰鬱な表情が印象的だった彼が、カーティス・ハンソンの「ラッキー・ユー」ではその陰鬱さを残しながらもラスベガスの博打うちを演じていたかと思ったら今度はイングランドの王様。映画には全然乗れなかったけれど、フランスへ追放されたのち、イングランドの宮廷に復帰した後のナタリー・ポートマンの衣装は良かったなあ。
それにしても、もう限界である。日本社会全体、いや世界全体で、ありとあらゆることを「人のせい」にし始めている様子で、たかだか1、2世紀の間に手に入れた今現在の社会の仕組みが、がたがたと崩れさる過程にもはや誰も耐えられなくなってきているのではないか。みんながみんな堕ちるところまで堕ちるしかないのではないか。
それでももう、躊躇うのはやめにしよう。過去も含めて、もう一度、今ままでとは異なる物語を一人一人が紡ぎ直してゆけばよいのだから。「一人芝居」から始めよう。「一人」から始めよう。すべてはもう一度始めなおすために、すべてはもう一度終わらなければならない。