「沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇」クロード・シャブロル

俗世界でのいやらしい感情うずまくトラブルに巻き込まれながらも、とっとと会社を後にして、遅ればせながらカイエ週間の日仏学院へ。「沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇」1995(クロード・シャブロル)。サンドリーヌ・ボネールイザベル・ユペールが淡いピンク色のオンボロ車に乗りながらはしゃいでるだけで、なんだか気持ちが落ち着いてくる。文盲の家政婦と郵便局員として働く女。市街地から離れた豪邸に暮らす家族の家事をこなしながらも、雇用主である家の主人や妻、その子供たちと少しずつすれ違い始める家政婦。サンドリーヌ・ボネールにとって、雇い主である家族との闘争の同士として、十二分の存在としてあらわれたイザベル・ユペールも、豪邸で起こる惨劇の後、自らもボランティア活動で関わっているカトリック教会の神父が運転する車に轢かれ死ぬ。
最後に生き残ったのは家政婦であるサンドリーヌ・ボネールだけというわけだが、どうもこの映画は雇い主である家族への復讐を描いているのではなく、「家事」というこの世界の多くの局面では労働とすら認められていない振る舞い、行為、アクションを担う家政婦という存在が最終的に生き延びていくという、ここでも主体を男女問わずマッチョが否定され「家政」が圧倒的に肯定されるという、アンチマッチョな物語を、この映画が撮られてから10年以上たった今生きる我々にとっての希望の一つとして提示してくれているような気がした。
とにもかくにも、イザベル・ユペールのスカートが風に吹かれて、ヒラヒラと捲り上がるシーンだけでも、生きてて良かったと思うのでした。