「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」ジョージ・A・ロメロ

もういい加減ひとを憎んだり、しんどさ人のせいにしたり、自分の外側に原因を見出して少しでも安全、安心な場所を自分の内側には確保しようとするのはやめようと思う。ここからはじめれば良いとシンプルに思います。ここ一週間はさまざまな感情がいろんな階層をつくって、笑ったり、泣いたり、怒ったり、落ち込んだり、黙り込んだり、といういったりきたりを繰り返していましたが、もう疲れましたので、単純になることにします。もううんざりですし。
というわけで、必然的にお酒を呑み続けましたが、土曜日は朝からジムへ直行。マシンをさぼりがちだったため、少し筋肉が固くなってしまっていますが、なんとかこなして、お風呂で汗をかいて、お酒を抜いて、いざ池袋へ。シネマサンシャインで「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」(ジョージ・A・ロメロ)。
突如として、世界全体が崩壊へ向けて転げ落ちていく唐突な感覚、説明なしで悪夢のような厳しい現実へ突き進む感覚は、また登場人物がDVカメラで撮影している映像がそのまま映画を前進させてゆき、DVカメラだけでなく、YouTubeや、携帯電話の液晶画面を媒介とした登場人物たちが存在する場所以外の世界が挿入されるあたりは、「クローバー・フィールド」や「リダクテッド」、「ハプニング」などなどと同じ世界で撮られ、見られる映画、という印象をまずは受けた。
大学の卒業制作として映画の撮影中に世界中の死者が蘇り、生きる者を襲い始める。のそのそゆっくりと歩くゾンビに襲われては仲間が一人づつ死んでゆきながら物語は進行していく。映画を成り立たせている視点は彼らがもつ2台のDVカメラから見た世界。映画内の映画の撮影の進行とこの映画の進行が同時に行われていくのだが、登場人物の死はあっけらかんとしていて、途中に彼らが住む世界以外の場所の紛争シーンが挟まれ、DVカメラを必死に回し続ける主人公らしき青年の彼女の声と思われるナレーションと共に、どこかもはやこの映画の中の彼らと、そしてこの映画を見る我々にも始めから明るい未来などなく、さっぱりとした絶望だけが、この作品を包み込んでいる。
必至にゾンビから逃げ続ける学生たちとは一線を画した教授と思しき中年男性だけが、この世界の危機を堂々と受け止め、時に冗談みたいにアーチェリーを持ち出して、ゾンビたちと対峙するあたりは、ただただ笑ってしまうしかないようなやさしいユーモアに満ちていた。
帰宅後、仮眠を取り、娘を保育園に迎えにいった後には、今年2度目のラグビー観戦。日本代表対アメリカ代表。11月も終わろうとしているから仕方がないけれど、冬空の秩父宮ラグビー場はとにかく寒い。結果は日本代表の勝利。幼子と一緒のため、バックスタンドの隅っこで見ていたため、試合の状況がうまく把握できなかったのだが、ブレイクダウンの局面で日本は前後半を通じて優位に立ち、フォワードのセットプレーも含め、密集からの球出しがスムーズになっている感じ。新キャプテンの菊谷選手はトヨタの人らしいけど、今まであまり知りませんでした。菊谷以外にも、新たにキャップを獲得したメンバーが多数選ばれ、実戦で活躍していたところを見ると、新生日本代表も捨てたもんじゃないですね。がんばれ、JK。
日曜日は、娘と共に髪を切りにお出かけ。帰宅後は、YouTubeで「ひこうき、ひこうき」と懇願し続ける子供と、ひたすら成田や羽田を離着陸する様子を一般の方々がミニDVで撮影したであろう動画、エンドレスで見続ける。
朝からいやな雲行きだったので陰鬱なままスーパーで買い物を済ませたとたんに、やはり冷たい雨が降り出した月曜日。子供を寝かしつけた後は、吉祥寺で「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」(ベン・スティラー)を。この映画も映画の中で映画が制作される過程がそのまま映画として投げ出されている。映画の原作者、ベトナム戦争の経験者として登場人物とは一線を画すポジションの中年男性がこの映画にも登場したと思ったら、ニック・ノルティ。その後の種明かしは別として、彼独特のしわがれ声が、コメディとして消費されているであろうこの映画に、少なからず暗い影を落としている。とにもかくにもロケ地であるベトナムで撮影を終え、映画も終わろうとするエンドロールでトム・クルーズが面白おかしく踊り続けている姿を茫然と見続けていると、ハリウッドのみならず、この世界を裏側でコントロールしているのは、トム・クルーズだったんじゃないかと変な勘違いをしたくなってきた。