diary of the dead

日曜日の続き。気持ちの悪い日記を書いた後は、渋谷のシアターN渋谷で「day of the dead」を見る。元ユーロスペースの劇場に入るのは初めて。ユーロの時と劇場自体は変わりないけれど、なんだか少し寂しい感じが。単純にユーロでがっつり映画を見るんだ、というワクワク感が少なくなっていると思われる。映画はといえば、ロメロの「死霊のえじき」を原案にしていることはさておき、主演のミーナ・スヴァーリがなんともクリスティーナ・リッチにあと少しという感じで非常にドキドキします。この映画でも「ウォンテッド」同様、どんなにシビアな状況に置かれても女性こそが苦難を乗り越えていく物語がまずあって、もしかしてアメリカ映画全体として女性に希望を見いだしているというよりは、「男性がもはや使い物にならない」という認識を身体で感じているのかもしれません。それから、人間の言葉や感情を理解するゾンビと人間の中間として表されるゾンビはなかなか見物ではありました。いずれにしても、危機的な状況、現実として受け入れられる臨界点を経験できるのはもはや女性だけなのではないか、女性に任せるほかないのではないか。そんな気持ちを強める日曜日の夜なのでした。
帰宅後、相変わらず、ブライアン・ウィルソンの「That Lucy Old Sun」を聞き続ける。CDのパッケージを開くと、ブライアン・ウィルソンが蝋人形のように(会社の同僚が表現した)おそらく西海岸のどこかのビルの屋上から下界を見下ろす姿が。これこそまさしく「day of the dead」といいますか、既に死者としてそこにあるブライアン・ウィルソンが死者の声として歌を歌い続けている奇跡は必ず胸にしまっておくべき奇跡としてあると確信したのでした。ロメロの新作は「diary of the dead」ということで、中原昌也氏の「作業日誌」のように、日誌、日記という形式でしか現代を語り得ない表現、形式として表明されているのでは、という妄想を今日も深めたところで、眠らなければならない時間がやってきたようです。