Birds Nest

昨日は、以前、仕事で話を伺う機会のあった菊池宏さんが、トークショーにでるということで、ユーロスペースへ。菊池さんが、一昨日はじまったオリンピックのメインスタジアムの設計監理を一時期担当されていた、ということはお会いした際に聞いていたが、そのヘルツォーク&ド・ムーロンの建築に関するドキュメンタリー映画が撮られていたとは全く知らなかった。上映前、五十嵐太郎さんと菊池さんのトークショー。(どうもこの映画は「建割」と題して、建築関係者には割引をしてくれるらしい。)開幕したばかりの北京オリンピック開幕式の話題から五十嵐さんが始める。これから始まる映画のテーマであるド・ムーロンの建築が後景に退き、演出そのものが素晴らしかった、とのこと。(開幕式をテレビで見ていた妻によるとその演出はチャン・イーモウによるものらしい。)また、映画のなかでヘルツォーク&ド・ムーロン(たぶん、ピエール・ド・ムーロンの方)は、オリンピックスタジアムを「アンチモニュメント」となるよう、決して北京にとってのモミュメントとならないよう、オリンピック終了後も北京市民たちに利用され続けることを望む、というような発言が印象的であったと五十嵐さん。一方菊池さんは、ひたすら映画の内容には触れず、ただただ自らは3か月間の関わりであったにも関わらず、非常にエネルギーを費やす大変なプロジェクトであったことを、映画を見ることで思い出してしまうので、しばらくはスタジアムを見たくない、といった趣旨の発言。ヘルツォーク&ド・ムーロンといえば、「ただの箱」といったようなシンプルなかたちの建築からキャリアをスタートしたが、菊池さんがこれも設計監理で関わった「青山プラダビル」に見られるように複雑なかたちの建築を昨今ではつくり続け、その複雑さが恐らく頂点に達しているのが今回のオリンピックスタジアムであろうと。彼らの作品の金字塔になるであろうと菊池さんは云う。構造的にも建築として限界に近付いているらしい。厳しいプロジェクトだったとはいえ、施主、施工業者含め、数多くのスタッフが関わり、わずか4年という短い工期であれだけの規模の建築を作ってしまうこと自体、驚きであり、そのもの作りのエネルギーは素晴らしいものであったと最後に付け加えていた。
映画の方はといえば、やたらと建築家二人がクロマキーで合成された中国の背景に写し出されたショットが多くて気持ちが悪かったし、全編にかかるいかにも西洋人がイメージする中国といった音楽も気になったけれど、とにもかくにも中国という国の圧倒的な規模の大きさ、決してイメージすらできない組織の大きさ、を改めて実感できる内容であった。(北京の有力者、北京最大のゼネコンの取締役として何度か登場する人物の画面左側を常に意識しながら薄笑いしている余裕さが自分が改めて感じた中国という国の規模の大きさ、イメージのしづらさを象徴しているような気がした。)
いずれにしても、「鳥の巣」というソフトなイメージ、やさしい感じの名前を付けられた建物が、厳格なる北京という街の都市計画の元、北京市の北側に違和感を感じさせることなく溶け込んでしまう、そこに建ってしまう。建ったのちには、ヘルツォーク&ド・ムーロンという設計の主体がどこか遠くへ消え去ってしまうような北京という街の吸引力みたいなものは、やはり圧倒されるし、自分とはまったく縁のない世界だなあ、所詮「日いづる国」でちまちまと小さな世界で、小さな自我を読み替えていくくらいしかできないのだようなあとどうでもいいことを思ったのであった。