16メートルプール

今年は勝手に独り大殺界ということで、交通事故の次は入院でした。これからもとてもいやな出来事が自分に降り掛かってくるでしょう。
というわけで、つらいことがあっても耐えられる身体づくりを目指して、スポーツジムに入会です。会員登録後、水泳だけは試しておこうとプールに向かいます。非常にせまいプールでした。隣ではスタジオを利用した有酸素運動が行われているようです。なぜかプールの隣にはお風呂がついていました。ジムにあるお風呂ってプールとセットなのでしょうか。
土曜日は、その前日の深酒の影響で何もせずにやり過ごそうと思いましたが、ナイト・シャマランの「ハプニング」を見てきました。アメリ東海岸、特に大都市圏の北東部だけで人々が自ら命を断ち始める。突然やってきた危機に対して、主人公夫婦と友人の娘の3人が生き延びるために少しずつ移動していく話ですが、物語はいったん置いておいて、映画全体を覆う夫婦関係の冷たさ、お互いの愛情の酷薄さがにじみ出てしまっているところが気になりました。シャマランの作品では「ヴィレッジ」が一番近いのかもしれませんが、現代のフィラデルフィアを舞台としてフィクションを立ち上げる時に、物語の中心となる夫婦が、世界の危機的状況に対して、特に妻の側から夫に対する視線が冷たすぎるような印象が非常に強く、映画を見終わった後、気になり続けるところです。
世界が崩壊に向かって進んでいく感覚は、これまでに近い感触、草原を風が吹いて、得体の知れない何かに怯えるというのは「サイン」に近いのかもしれませんが、「ハプニング」の夫婦が支え合っていかなければならない状況での関係の酷薄さは、これまでの作品の印象とは決定的に異なるような気がしてきました。危機的状況を回避することができた夫婦に、最終的には妊娠という出来事が訪れますが、それにしてもあの妻の夫に対する、いや世界に対する冷めた目線は気持ちが悪い。ただし、どうも具体的に崩壊に向けて動き出しているかに見える、多くのメディアもそう感じさせようとしているかに見える「現実」や「現在」に対して、「パプニング」の中で生きる妻の夫に対する視線の冷たさは、崩れ落ちゆく現実に対して、直接的な対抗、対応、対処では全くないのですが、どうも危機的状況に対して、強く起立しているといったらいいでしょうか、状況に翻弄されないある種の強さ、状況に対して対抗することなく、時間的な未来に向かって進んでいける存在として生きている気がする。
奇妙な妻の視線の先には、多くのバリエーションで自殺する死体の数々ではなく、自らは自殺など決してせず、映画の中盤、3人が辿り着いたモデルルームにいたあのマネキン人形たちの視線の先と同じように、偽物のワインやジュースがあって、無責任な強さとともにただ生きていける力があったような気がしたのは気のせいかもしれませんが、それにしてもあの奥さんの気持ち悪さが気になりますので、もう1度、映画館に足を運ぼうと思います。