ジャーマン+雨

身勝手極まりない云い方をすれば、多分自分が生きている間は目の前の人間がバタバタと死んでいく戦争は起こらないだろうと予想がされる。生まれた時には既に戦争が終わり、かろうじて祖父母の体験を直接、または父母を通して聞かされてはいたけれど、戦争を体験することはこれまでもこれからも多分、ない。
林さんは、祖母の遺産と祖父の戦没者年金で暮らす。母は不在で、父は擁護施設にいてたった一人で暮らしている。ここにも戦争を体験する環境は何一つないが、にも関わらずこの映画には相対的にもっとも近い過去の戦争があちこちに顔を出し、かつ主人公である林さんは、実際に祖父母が体験した戦争を、父母という媒介なしに再体験し、さらにいまこの現在を戦争体験として、生きている。
林さんは、歌手になる夢を持っているが、友人であるマキに歌手になるよりも先に母になり、100人の子供を産み育て、林家の滅亡を食い止めるというもう1つの夢も語る。少なくとも父はまだ生きている。林さん一人ではないはずである。にも関わらず、彼女は母になり、生み育てるという夢を語る。奇妙奇天烈な夢だし、実際には100人も生むことはできない。彼女が自分の夢(歌手になる)よりも、未来の子供たちの夢(100人の子供を産み育てる)ということを優先させる時、そこにはあの昭和の戦争中、祖父母が抱いた夢と全く同じ夢が再現され始める。
林さんは、小学校の子供たち相手に縦笛教室を開いている。曲づくりの源泉は子供たちのトラウマ(?)。子供たちが生きる現在を題材として、曲づくりが続けられる。
歌手になるためのオーディションで落選を知らされた林さんはゴリラーマンの漫画を読みながら眠ってしまう。先生が眠ってしまった間に子供たちは部屋に落書きを始め、ゴリラーマンの漫画に色を塗る。「みんないたよ。みんないたよ。」と突然オフの声で子供たちが云う。子供たちは既に死んでしまったかのような、死後の世界からの声が聞こえてくる。
ドイツ人留学生に歌手になる夢を諦めたことを告げると、林さんは自分が子供のころ海と繋がっていると信じて飛び込んだ肥溜めに再び飛び込み意識不明となる。入院先の病院でマキと子供たちに囲まれながら、更に這いつくばって近付いてくる父親に触られながら、林さんは微笑んだかのようにみえる。
そして再び「みんないたか?みんないたよ。みんないたか?みんないたよ」父親からの問いかけに応える。
林さんが生きているここには「みんないる。」そのみんなのために林さんは歌手になる夢よりも優先させて縦笛を教え、ゴハンを食べさせる。
林さんは、現在に関わる一切のことどもに対しては無力であり続けながらも、実は今まさに戦争中であり、もはや戦後であるという現実をたった一人で引き受け、体験のしたことのないはずの戦争中を生き抜くために、未来(子供たち)のために生きることを選びきった。(そういえばバキュームカーとともに現れるオガワさんの姿は傷痍軍人そのものだ。)
コンビニの駐車場での晩餐。「明日も明後日も驕ってやる。」と林さんは子供たちに伝える。「やったあ!母ちゃんのメシより何倍もうまい」。そうだ、母親のメシよりもコンビニのおでんの方が美味しいと感じる。母親なしでも生きていかなければならない、戦争孤児たちのために全てを捧げた林さん。
コンビにのおでんを食べて、子供たちはこの現実をどこまでもポジティブに生きていくだろう。