映像のカリスマ 増補改訂版

昨日まで見ていた世界の風景が、黒沢清の映画を見終えると、後戻りできない強度をもって全く異なる様相を帯びてくる。学生だった頃に、彼の映画に出会わなかったら、暗くて陰鬱だった毎日を、ただナイーブな悲壮感をセットにして見つめ続けるしかなかった。
黒沢清の映画は、「見る」こと自体を変える。時間、場所、条件、環境によってこの世界のどこにピントを合わせ、また視線をずらし、どこで目をつむり、目を逸らすか。黒沢清の映画を見ると、そうした「見る」ことを「見直す」契機が画面の向こう側からやってくるのだ。そこで僕は「見ること」、この世界を見つめることが「生きること」、この現実を「生きること」とほとんど同じことに感じられた。「見ること」と「生きること」は同義ではない。だけれども、「生きること」が「見ること」にいかに支配され、コントロールされているか、ということに気が付いた。
正しく現実を見つめる視点。彼の映画を見てそんなものを獲得したのではなくて、それまでの自分が世界を見る視点、時間のかけ方が何か自分とは関係のない力に規定されているということに気が付いた。そんな気がした。
この世界が、現実が、映画を見ることでポジティブ(明るい未来)に変わる、変えられるのではない、ただ単純にこの世界を、現実を、「見直す」こと。それも一度だけでなく、何度も「見直す」ことを可能にしてくれるのが黒沢清の映画だった。
あの時、「CURE」を見た関内の狭くて薄暗い劇場から出て、明るい日差しを網膜に感じ取った時、何か決定的に世界が変わって見えてきた。役所広司が食事をするファミリーレストラン。それに続くエンドロールとともに写し出される穏やかな街の風景と、劇場の外の風景が直接繋がってしまった感触。
もはや後戻りできなくなっていた。
黒沢清「映像のカリスマ 改訂版」が来月、発売されます。

「映像のカリスマ 増補改訂版」
著者●黒沢清
製作●boid
http://boid.pobox.ne.jp/
発売元●株式会社エクスナレッジ
http://www.xknowledge.co.jp/
予価●¥2.400
発売日●8月21日