「THIS IS IT」ケニー・オルテガ

やっぱりズーイーは音楽やってる時の方が輝いている。She & Him。結局、「Volume One」を買ってしまう。60年代や70年代のロックを何食わぬ顔して「現在のもの」としてゆっくり吸い込みながら歌っている。2曲目のWhy do you let me stay here?なんかはキンクスみたいだし。。。映画の中で窮屈そうに見える彼女はやっぱり歌を歌ったり演奏している方がのびのび生きているような気がする。
というわけで、遅ればせながら「THIS IS IT」(ケニー・オルテガ)。「ミスター・ロンリー」(ハーモニー・コリン)ではマイケルになりきって、なりきろうとして、なりきれない主人公がでてきたけど、マイケルに全く詳しくない僕から見ても、どうもマイケルは「普通の人」の方へ歩み寄ろうとし続けて、でもマイケルはマイケルの外へは出られなかったのではないか、という印象をこの映画を見て感じる。マイケル本人なら「ミスター・ロンリー」の登場人物全て、飛行機からダイビングする尼僧たちも含めてひとりでこなせる。
リハーサルの最中にやたらと繰り返される「God bless you」や、スタッフとの意思疎通がうまくいかなかった時にでる「怒ってるんじゃない、愛だよ、L,O,V,E,だよ」というコトバからも、この人は聖職者でもあるんじゃないかと気になる。ケニー・オルテガというディレクターがいたり、ヴォーカル、振り付け、演奏にそれぞれ優秀なスタッフがたくさんいるのだけれど、どうもマイケルにやられっぱなしというか、どちらかというとマイケルが作り出そうとする「波」みたいなものにみながついていこうとするので精一杯の感じがする。
いや、超絶的なダンスと歌と50歳とは思えぬシャープな身体があればそれだけでもう十分だと思うけど、マイケルは、うーん、そう、マイケル以外の人、それも「普通の人」の方に近づこうとする。マイケル自身であることに飽きているというか。。。
ただしマイケルは決してマイケル以外になれないことも知っていて、「自分で全部やる」方が「普通の人」たちと仕事をするよりもうまく、全てはうまくいくことも知っている。だけど、「THIS IS IT」のマイケルは、それでも「マイケル以外」の方へ滲み出ようとする。でもやっぱりうまくいかない。
マイケルはマイケルでしかない。マイケル・ジャクソンが最もマイケル・ジャクソンである。「普通の人」の僕らからしたら当たり前だし、凄いなあと思うばかりのこの事実にマイケルは苛立ち続け、ヘンテコリンな整形手術を繰り返し(せめて見た目だけでも普通の人の方へ!?)、少し変な人にしか思えないコメントを発していたのかもしれない。
ただ、だからこそ、なんだかリハーサルに励むシーンのみで構成されるこの映画のマイケルに感動してしまう。
「誰の役でもこなせる」のに、「マイケル・ジャクソン」として生きるしかなく、「普通の人」に近づこうとすればするほど、「変な人」に見えてしまうこと。
ミスター・ロンリー」はそんなマイケル本人の生き様に「普通の人」の方から迫ろうとして、でもやっぱりうまくいかない、そんな映画として見ることができるような気がしてきた。