ありふれたもののディストピア

夕陽妄語は実家住まいのときにちらちら読んではいたけれど。
加藤周一
あんまり買わない現代思想で特集が組まれていて、廣瀬純の論考だけが読みたくて買ってしまう。
「加藤の意志を継ぐことは、加藤のユートピアを継ぐことかも知れない。しかし、加藤を貫いた潜勢力を継ぐことは、それとは反対に加藤のディストピアを継ぐことであるはずだ。加藤がユートピアの超越平面に配置したものをディストピアの内在平面に書き込み直さなければならない。」
分かるような分からないような。
もう一度読まねば。
多分、「特別のリンゴ」や「エリート」ではなく「普通のリンゴ」や「雑種」による、いまここではない「もう一つの世界」を加藤周一が生きた20世紀のうちに既に見ることができたはずだけれども見えづらかった。加藤周一には少しだけ見えていた。その加藤周一が斜に見ていた「普通のリンゴ」による「ディストピア」を正面から見据えて、広げてゆけばよいのだ。
そんな感じで読んでしまった私は恐らくボンクラなのでしょう。
もう一度読んでみます。