おもちゃのチャチャチャ
気が付いたら、ピナ・バウシュも逝ってしまった。
かと思ったら、平岡正明も。
うーむ。
晴れてればなんでもいい気がしてくる。
気分次第ってことか。
気分なんてどうでもよくて、気分とは別のとこにある意識や認識や意志を鍛えなきゃならんのに。
疎外論とかロスト・ジェネレーションとかは良く分からないし、コトバ自体好きになれないけれど、己も含めた凡庸な有象無象から奪われているのは多分「気分以外」に立脚して生きる「怠惰」と「余裕」と「勇気」と「飛躍」だと思う。
インターネットや携帯電話の画面を見る時間がとにかく長すぎると思う。
これじゃ目の前の人参を追いかけてるだけで、前方も後方も右側も左側も上も下も、っていうことは何も見ていないと同じだのね。
これらの液晶画面はひとまず「1日1時間だけ」とか母親から叱られるくらいじゃないと、自分で自分の首を絞めてるだけのような。
でもいまや巷のおかんたちも携帯電話にくらいついてるもんな。
そういえば、「闘争の最小回路」で廣瀬純は、わたしたちの力のクリスタルがインターネットに接続されていることで、チュルチュルと奴ら(!)に吸われ続けている、みたいなことを書いていたっけ。(曖昧な記憶に基づくテキトーな抜き書き)そのことの意味がぼんやりと分ってきた。
まあ今日も晴れたので。
「旅の果て日記」(野坂昭如)を偶然見つけて携帯画面で熟読。
勢い付けて西荻窪の古本屋で「色即回帰」と「フレンチコネクション八百」の2冊をとりあえず購入。
読む。
エロいことはエロいけど、エロいのはさておき、野坂さんは「出征しなかったけど帰還兵」なんだな。
あるいは、「チェンジリング」(クリント・イーストウッド)で誘拐されて母の元には決して戻ることがなかったウォルター少年。
多分、野坂さんはウォルターの立場で生き続けていると思う。
だからどんなにエロくてもいつでも空からは焼夷弾が降ってくる。
2009年7月14日。快晴。目の前の畑は焼夷弾の筒で埋め尽くされ、収穫前のトマトや西瓜、とうもろこしは焼け焦げる。
そういうことだな。
とにもかくにも野坂昭如。
次は何を読んでみようかな。
DVDで「愛のそよ風」(イーストウッド)を見る。
それから、劇場では「ターミネーター4」(McG)と「ノウイング」(アレックス・プロヤス)を見てきた。