もうすぐオムツが取れるかもしれません

週末。隔日で早朝までの飲酒を繰り返すと、たばこをやめたことによる記憶喪失と二日酔いが相まって、ただでさえ薄暗い気持ちなのに、特に絶望的な日曜日を家族には笑顔を振りまきながら過ごすことになる。昼間は娘と家の前の駐車場でボール遊び。連日の真夜中の豪雨の原因なのか、家の周辺には建物がほとんどないからという理由も重なって、見たことのないほど大きな入道雲が、空いっぱいに降りてきている。娘とボールを蹴りながら、ただ茫然とその入道雲を見つめていると、やぶ蚊に刺されまくってしまい、死ぬ思いをして、部屋に戻る。
そうそう、金曜日に妻と娘と見たポニョは、まさに「レディ・イン・ザ・ウォーター」というか、はたまた「ライフ・アクアティック」というか、無理して「クリスタル・ボイジャー」というか、説明や前提や背景を全く排した「水の中からの物語」が、最近のアメリカ映画のように観客に叩きつけられる感じがして、愉快な気分で娘を抱っこして帰宅することができた。「はじまり」と「おわり」というテロップ(?)、ことばでこれみよがしに始めと終わりを指示しつつも、始めと終わりの間には、決して腑に落ちるような内容は語られず、「お父さん」や「お母さん」といった呼び名ではなく「名前」で呼び合う家族や、人間だか魚だか分らない、家族が海の中から現われて、穏やかに、だけれどもとてつもなく厳しい覚悟を、主人公の男の子に提示してくるあたりは、よくできたフィクションの力を改めて感じさせる映画として宮崎駿作品を見ることができたような気がした。ライフ・アクアティックのラスト近く、潜水艦に乗り込んだチーム・ズィスーの面々は、海底でジャガー・シャークをついに発見し、シャークと潜水艦が接触し、潜水艦(画面)が揺れる。あきらかに作りものと分る、まるで絵に描いたようなシャークとぶつかった時のビル・マーレイケイト・ブランシェットの顔が感動的であったように、ポニョの母親から主人公の男の子に「半魚人としてのポニョ」を受け入れられるかと問われ、間髪入れず、男の子は受け入れる意思表示をするときには、なんだか胸が熱くなってしまって、もっともっと丁寧に作られたフィクションでこの世の中を満たしてしまいたい欲望が湧いてきた。