ゼロ年代の想像力

宇野常寛という人の「ゼロ年代の想像力」という本をなんとなく本屋で手にとって買ってしまう。昨日から生あくびばかりして、酸素が足りない状況で、パラパラと最初の方しか読んでいない。どうも1995年から現在にいたるまでの日本国内のサブカルチャーを例にとって、社会学的に時代の変遷を長々と綴っていくものらしい。95年から2001年ごろまでを「心理主義/引きこもり系」に支えられた「古い想像力」、2001年ごろから現在にいたるまでを「決断主義」に支えられた「新しい想像力」の時代として捉えているようだ。まだ全然読み進められていないけれど、人はどうしても、自分の生きている時代を特権化して、新しい言葉で語ってしまうのかしら。なにか、始めから最後まですーっと、読み通せてしまえそうな感触が第一章からあって、それだけで、どうもしっくりこないというか、そもそもそんなに自分が生きている時代のことなんて分析しなくてもいいじゃないかしら、って思ってしまう。いつの時代だって社会は複雑だったし、「大きい物語」も「小さい物語」もそれなりに機能したり、機能しなかったりと、うーん、違うのかな。もう少しちゃんと読んでみようと思うけど、やっぱり国内のサブカルチャーだけ、特にアニメとマンガとテレビドラマと一部の日本映画だけで淡々と時代が分析されていく感じは、やっぱりどこか腑に落ちない。宇野さんは95年以降のアメリカ映画を見続けてきたりはしていないのかしらん。